★お宝色紙★

世界で1枚の色紙です。
偉大なる功績
年度 戦  歴 備 考
80 '80ジュニア世界選手権出場
81 第29回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会一般男子団体の部優勝
第29回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会男子個人優勝
根本悦夫
82 第30回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会一般男子団体の部優勝
第30回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会男子個人優勝
宇野直樹
83
84 全日本選手権ロード優勝
世界選手権出場
85 全日本選手権ロード優勝
団体ロード・ポイントW優勝
第33回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会男子個人優勝
ツールドラブニール出場
86 世界選手権出場
87 ツールドラブニール出場
88 ソウルオリンピック日本代表 25位
第2回ツール・ド・北海道 個人総合3位

団体3位
89 第3回ツール・ド・北海道個人総合2位 団体2位
90 第38回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会男子個人優勝
世界選手権出場
91 第1回全日本選手権チームロードレース大潟大会 2位
92 '92国際ロード個人総合優勝
93 ブリヂストンレーシングチーム監督になる
第12回全日本実業団対抗サイクルロード 100kmチームTT 2位
’93年世界選手権出場

佐々木・大塚・柿沼
この功績は大まかなものです、わかり次第追加させていただきます。

鈴木選手の戦歴の中で私が印象にあるのは、
宿敵ボスコ大石一夫との決戦、ツール・ド・北海道での死闘のドラマは当時の印象が深い。
現在活躍中のチーム・ブリヂストンアンカーの
母体を作ったのは鈴木選手と言っても過言ではない。


初めて私が声を交わせたのは、
'93ウッディタウン三田第12回全日本実業団対抗サイクルロードの時だった。
ブリヂストンのブースで座っていた鈴木選手を見つけた
私は「監督就任おめでとうございます」と大胆にも握手を求め、着ていたシャツにサインをしてもらった。
その時であった。一緒にいたチームメイトのS,Mさんが
「ワシはようわからんが、有名な人なら握手してくれ」
私は少し冷や汗をかいた。当時チームのメンバーは、全く
自転車競技選手など知る由もなかったのである。
それでも鈴木選手はいやな顔をせず握手をしてくれた。

現在鈴木選手はアンカー関西営業所長で関西地区を転々とショップ周りをしている。
彼はアンカー販売だけでなくこれまでの実践的レースの経験を生かし、
走り方トレーニングの仕方など事細かに指導をしてくれる。
こんな田舎で素人集団ばかりのチームにも丁寧に熱心に語ってくれる鈴木選手は
選手としてだけでなく人間性にもすごく魅力を感じた。

鈴木選手のエピソード

 ラブニールの大会に代表で出た時の話である。日本チームは最初の山越えでかなり遅れ後方を走っていた。鈴木選手はボスコ大石選手と共に先頭を追いかけていたが、日本のサポートカーは何を考えていたのか先頭集団について走っていた。
勿論、水分も補給食も限りが出てくる。
「鈴木君どうしよう」大石選手は限界に近づいていた。
まだ大石選手より余裕のあった鈴木選手は先頭を走り山の水をくんで大石選手に与えた。
しかし今度は補給食が足りない。鈴木選手は何とかしなければと必死で考えた。
ふと見ると現地の子供が山ぶどうの房ごと脇に抱えて食べていた。
「これだー」鈴木選手は気に入られようと話しかけ山ぶどうを分けてくれないかと子供達に聞いてみた。
子供達は「いいよ」というと鈴木選手は根こそぎ持っていた。
「あれは、もらったんじゃなく子供からだまし取ったみたいだった。」
と鈴木選手は当時を振り返って話してくれた。
                   
ShimanoSuzukaRoad HBC但馬牛焼き肉パーティーにて

ツールド北海道
第1回大会 1987年10.7〜10.11 札幌市→石狩町 482.9km

まさかの大逆転劇、第1回大会
最終ステージの強風で、完走できた選手は95名中わずか20名。その結果、団体総合時間賞の対象チームが2チームのみとなった第1回大会。ステージレースの面白さと難しさを実証したが、最大の話題は逆転劇。第3ステージまでトップを独走、大本命とされていたブリヂストンの鈴木光広選手を追うナカガワの高橋松吉選手が、他チーム、ライバルたちのアシストを受けて最終日の第4ステージで逆転、チャンピオンジャージを鈴木選手から手にいれた。


 団体総合時間賞     ブリヂストンサイクル自転車競技部
 個人総合時間賞     高橋松吉(ナカガワFETオークレー)
 個人総合山岳賞     三谷寛志(ブリヂストン)
 個人総合ポイント賞   鈴木光広(ブリヂストン)
.


第2回大会 1988年6.28〜7.3 帯広市→北見市 567km

クラブチーム「ボスコ」登場
第2回大会の話題は、なんといってもクラブチーム「ボスコ」の存在。前年の個人総合時間賞を獲得した覇者、高橋松吉選手が、この大会を目標に結成したものだ。実業団、学生、選抜チームが主流の中で異色の存在として注目されたが、結成1年目にして団体総合時間賞を除く3部門を制覇。ツール・ド・北海道とサイクルスポーツの発展に、大きく貢献した。また、この大会にはソウルオリンピック出場の橋本聖子選手が出場、話題となった。


 団体総合時間賞    シマノレーシングチーム
 個人総合時間賞    橋詰一也(ボスコ)
 個人総合山岳賞    高橋松吉(ボスコ)
 個人総合ポイント賞  鈴木光広(ブリヂストン)
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第3回大会 1989年10.3〜10.8 増毛町→旭川市 658km

ボスコ全種目を制覇
第3回大会でもボスコの話題はつきない。かつての大者の雪辱を賭けて、前半トップを走ったブリヂストンの鈴木光広選手を、エプソンボスコレーシングチームと名を変えたボスコの大石一夫が振り払い、ボスコ対ブリヂストンの戦いに決着をつけたが、ふたを開けてみるとボスコが全種目制覇という大偉業がなし遂げられていた。第3回大会は雨が降り、また終始強風が吹き荒れるという場面もあったが、全般に好記録を生んだ。また、北海道勢の健闘も目立った。


 団体総合時間賞     エプソンボスコレーシングチーム
 個人総合時間賞     大石一夫(エプソンボスコ)
 個人総合ポイント賞   山田隆博(エプソンボスコ)
 個人総合スプリント賞  山田隆博(エプソンボスコ)
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第4回大会 1990年10.8〜10.13 函館市→札幌市 611.5km

シマノ今中の台頭
第4回大会は好天に恵まれ、また過去3回の大会を経て驚くほどレベルの上がった大会であった。この大会でも、ボスコにまつわる話題はつきない。第3回大会までのボスコのチームメイトだった大門宏が日本舗道に移籍、個人総合優勝を賭けて旧友大石一夫(ボスコ)とトップを競り合い、また鈴木(ブリヂストン)と大石の死闘の再現など、見所の多い大会であった。決局、ボスコは団体総合時間賞を3年連続獲得したものの、個人総合時間賞は今中大介(シマノ)に奪われ、大石は2位となった。


 団体総合時間賞    エプソンボスコレーシングチーム
 個人総合時間賞    今中大介(シマノ)
 個人総合山岳賞    安藤康洋(ミヤタ)
 個人総合ポイント賞  大野直志(日本鋪道)
 個人総合スプリント賞 三谷寛志(ブリヂストン)
ソールオリンピック
鈴木光広 0000/00/00
※1988-ソウル五輪-自転車-男子196.8km個人ロード・レース(25位)4分32秒56
三浦恭資 0000/00/00
※1988-ソウル五輪-自転車-男子196.8km個人ロード・レース(72位)4分32秒56